恥ずかしながらゴミ屋敷に住んでいる。仕事でも対人関係でも、恥を晒して振る舞っているつもりだけど、部屋の散らかりに関してはネタとしても話すのが躊躇われ、トピックとして一線を引いてしまっている。そもそもゴミ部屋以外のことにしてみても、ぼくは虚栄心の固まりだから、出来ていないことを出来ていないと認めるのが怖いし、出来ていない人と周囲から思われるのは一番の苦痛になる。出来ないと認めたらそこを出発点にして進んでいけるのに、それがいつまで経っても出来ないから、進歩というものがない。何年経ってもコンプレックスは、例えば料理が下手だとか、彼女がいたことがないとか、部屋が汚いとかのコンプレックスは、ひた隠しにしなければならない事項として深海魚のように、ありのままの姿を保ち続けている。

 

それはともかく、部屋が汚い。大量の本、紙の予定表、美術資料、Tシャツ、一度履いた靴下、台本、芋けんぴのカス、レシートが、地層を形成し幾重にも重なってフローリングを覆っている。掘り進めていくと、7月の仕事で使っていた資料などが発掘されたりして、いつから掃除をサボっていたのかとか、地層学的に何となく分かってくる。貴重な生活資料である。しかも、部屋が汚いことに対してストレスが無ければ問題はないのだけど、整頓自体は何よりも好きだから、ジャンル分けが一切なされていないというカオス状態は最もストレスが溜まる。躁鬱の躁のスイッチが入っている期間は、テプラ貼って資料をジャンル分けするくらいマッドな整頓フリークなので、言ってしまえばゴミ屋敷が発生してしまうのはもう、躁鬱のせいだ。鬱期は一切の行動が躊躇われるし、芋けんぴもボリボリと布団の上で食べてカスをこぼすし、躁期は床に髪の毛一本落ちていないというのが、学生時代から繰り返し続けてきたライフサイクルなのだった。去年の鬱は、しかも長かった。下半期はずっぷりと首まで浸かっていて、浮上した記憶もほぼ残っていない。脚本を書いていた時は、マックスの躁だったけれど、脚本に集中していたから掃除には行動ポイントを割り振れず、結果として半年分汚れ切ったゴミ屋敷が出現してしまったのだった。

 

歴代のゴミ屋敷と比べたら、完成度としてまだ低い方だけれど。大学時代の作品(?)は、もっとトップスピードで人外の域へ駆け抜けていくような代物だった。京都の下宿で、ショウジョウバエが無数に発生した時は、床に落ちていた電子辞書の裏が蛆のコロニーになっていた。見つけたときは思わず絶叫した。電子辞書の裏がフェノミナになったのは、電子辞書史上でおそらく初だ。京都の下宿は、コンクリート打ちっぱなしのデザイナーズマンションのような洒落た建物だったのだけど、万年床を引きっぱなしだったので、引き払う時に床に、人間の形のシミができていた。この世に事故物件を一つ作ってしまったという意味では、僕は一度死んでいる。

 

孤立中年の六畳間に誰かが来るようなこともないけれど、おととし新調したソファにもデリヘルのおばさんしか座ったことがないけれど、自分自身のストレス軽減のためにまずはこの作品、躁鬱がテーマのインスタレーション作品を解体する必要がある。そして少しでも早く、念願のテプラ生活に戻る。

忌み子に生まれて

珍名というほどではないが、母数の少ない苗字に生まれた。「〇〇という字に、■の■で、〇■です」と、これまで何度説明してきただろうか。しかも活舌が悪いので、たいていは間違って伝わるし、訂正するのも面倒なので放っておくことも多い。

 

生まれは関東だけれど、先祖を辿っていくと鹿児島の離島に行き着くと、両親から聞いたことがある。なんでもその島に、一族代々の墓があるという話だった。島の名前で検索してみると、ぼくと同じ苗字の、おそらく血縁のある人たちのフェイスブックが何件かヒットする。新鮮な魚介の写真や、ダイビング中に撮ったウミガメの写真(島自体が、有名な産卵地らしい)を、のんびりとした笑顔の日焼け男が次々アップロードしており、どうやらそれが血の繋がった遠い片割れなのだった。本来の僕が歩むべき人生も、きっとこの、ウミガメ日焼け人生だったに違いない。島でゆっくりと循環していた魂が、他の血が入り混じった土地に紛れ込んだばかりに、ミスタービーンのような混乱と誤解とが幾多も生まれることになってしまった。「忌まわしい」とは、存在してはいけないものが存在しているという意味の言葉で、存在してはいけないものというのが僕なのだ。忌み子、という単語が、電気信号で呼び起こす必要もなく、前頭葉の一番前をずっと陣取っている。本当の人生では、南の島で血を濃くしていたはずだった。

 

調べていくと、その離島というのもいわくのある場所なのだった。というのも、江戸時代に隠れキリシタンが落ち延びた島、というのは史実としてあるらしい。南の離島なんぞに流れ着くような人間なんて、はみ出し者というか、裏の事情を抱えている奴らしかいない。そういった裏人間の遺伝子を何世代にも渡って濃厚にかけ合わせていけば、ろくなことにはならない。これはネットに転がっていた、真偽のかなり怪しい説ではあるけれど、離島に辿り着いた隠れキリシタンは特殊な変遷を経て、カニバリズムを主体とした邪教と化していたという一説もある。その島は、南の海に浮かぶ、呪われたウミガメ島なのだ。実話ナックルズ根本敬がネタにしそうな因果話の末端に、あろうことか連なってしまっている。

「罪ちゃん」

たとえば同性愛や広義の人間愛のみが許される世界に、この世界がなったとしたら、ヘテロセクシャルが人間の営みにそぐわない時代が、そんな時代が訪れたとしたら、僕が一人の女性を思っていたという体験にしてみたところで、旧時代のヘテロセクシャルと切り捨てられ、レッテルを貼られ、意味を書き替えられてしまうと思う。湿った男女の交わりは遍く「黄昏流星群」と見なされ、軽蔑される。僕の体験はといえば、湿っても交わってもいない、宙ぶらりんになって傍に居たり居なかったり、お互いがお互いを感知していたりしていなかったり、そういった曖昧な時間の連なりでしかなかったけれど、過ぎ去った時間の彼方から顧みれば「黄昏流星群」の外れ回、おそらく締め切りに追われたであろう弘兼憲史が手癖で書いた一つの短編でしかない。

 

Sと出会った時、僕の体は、女性と性的接触を行うことが出来ない危機に瀕していた。つまり、性器の突端から膿がじくじくと溢れ、痛々しく腫れていた。たとえば読んで字の如くの登場人物が現れる毛じらみや、西洋医学的なカタカナの並びで表記されるクラミジアと違い、しとしとと、ぽつりぽつりと膿を垂らす僕の淋病は、ごく日本的な日陰の営み、逢瀬(おうせ)や逢引(あいびき)のイメージを孕み、情緒を伴っている。ぽつりぽつりと雨音だけが聞こえている新宿の日陰で、僕は出会ったのだった。奇妙なヘテロセクシャル体験の同伴者に、未来の感情の矛先に。きっと情緒的な細菌を有していたから、Sに情緒的な思いを抱いてしまったのだと思う。螺旋状のDNA構造のように決して交わらない二人の時間軸は、ともすればすれ違いの愛情を想起させるけれど、何のことは無く、僕たち二人の間には、過去においても現在においても何ら繋がりがなかったというだけで、僕は彼女の衣擦れの音が過ぎ去るのを間近で聞いていたのみだった。

 

罪ちゃんは、僕とSの間に何らかの幕切れめいたものが見えた日に、ふらりと現れた。ひどく酔っていて、飲み歩いて歩き続けて、Sが店番をする店に辿り着いたのだった。客が僕だけの時は、Sはキッチンを出て、カウンターで隣り合わせて僕と飲む。その晩もそうだった。ひそひそと意味ありげに、朝を待って話していたのだった。ひそひそとした言葉に、意味を含めていた。たとえばジナイーダを囲むルーシンが、彼女と二人きりになったとしたら、こういった卑怯なやり口で、自尊心を暗く満たしたと思う。Sと僕の間に、座標軸上の連綿はあったとしても、意味であったり関係であったりといったものは、存在しないのだ。罪ちゃんは、神が遣わした動物のように、空虚な二人の空間を踏み潰し、さわやかに嚙み砕いた。

 

転職先が見つかった祝いにと飲み始めたら、統制がとれなくなってしまった、次に会うことがあったとしてもこの記憶はない、と罪ちゃんは話していた。滅多に飲み歩くことはない、規則正しく毎日を生きて、たまに箍が外れると、こうして前後不覚になるのが、この罪ちゃんの生活なのだった。「罪を重ねるから、罪ちゃんと呼ばれているんです、だから罪ちゃんと呼んでください」、言うなりカウンターに顔を突っ伏した。Sと僕は顔を見合わせた。一時間前に閉めるはずの店だった。Sは旅行へ行く、店を閉めたら飛行機に乗って、沖縄へ向かうのだった。二人旅行だった。旅の相手のことは僕も知っていた。Sは、店を閉めたがっていた。

 

「伊勢海老のぬいぐるみを昔大事にしてたんです、でも妹に捨てられちゃって。妹が私の家を片付けに来て、食べかけのカップラーメンと一緒に、ごみ袋に捨てちゃったんです。こんな物いらないって。こんな物があるから、お姉ちゃんはダメになるんだって。人生で一番悲しかったです。本当に悲しかった。10年付き合った彼氏と別れた時より、悲しい出来事でした」

 

制御の取れなくなった罪ちゃんが、よく分からない思い出話を語り始めた、突っ伏したまま。

 

「ああ確かに! 絶対に元に戻らないからね、人間関係と違って。伊勢海老は絶対に戻らない、だから悲しいのは分かるよ」

「そうなんです! そうなんですよ」

「いや実際そうなんだよ。人生で大切な物って、伊勢海老のぬいぐるみなんだよ、それだけなんだ。本当に信頼したり、心から愛したり、失って悲しんだりできるものって。だから、罪ちゃんの言ってることは分かるんだよ」

「そうなんです、思い出したら泣けてきました。本当に、今でも悲しくて、心に伊勢海老の形の穴が空いてる感じなんです」

「わかるよ」

「お兄さん・・・もしかして良い人ですね」

「そんなことないよ」

「良い人ですよ、こんな酔っ払いに優しくしてくれて」

罪ちゃんがむくりと起き上がって、僕を見た。酔っているようには見えなかった。

「罪ちゃん、もう少し休む? 店は閉めるみたいだけど」

「立てます、すみません。もう閉めるんですね。大丈夫ですよ、立てます」

 

罪ちゃんの分も、僕が払った。行く宛てが無いというから、付き添ってどこまでも行くことにした。Sは店の外まで出て、僕たち二人を見送った。

 

「気をつけてね」

 

湿った排水の言葉で、Sは喋った。

 

「そっちこそ、飛行機乗り遅れないように」

 

僕も淋病の言葉で、紛れもなく滴っていた。

 

「ありがとう、今日。来てくれて」

「なんだよ、改まって」

 

Sはなぜか泣きそうな顔をして、僕を見ていた。Sの歪んだ視界が、僕の目に伝わって、僕の視界もなんだか歪んでいた。歪んだまま、立ち尽くしていた。罪ちゃんは、道端の自転車を倒しながら、幽霊みたいに歩き進んでいた。

 

朝の歌舞伎町は、ウイルスの流行が無かった世界線のように、有象無象の悪の概念がうろうろと行き来していた。これからどこへ向かおう。Sが沖縄へ行くなら、僕も罪ちゃんとどこかへ行かなければならなかった。

 

「見てよ、虹が出てる」

 

罪ちゃんが指で示した方向に、本当に、歌舞伎町のビルの隙間に、虹がかかっていた。日本人の歴史的・生物学的な結末として、七色の色素で構成される気象現象。今まで、美しいと思ったことはなかった。それはただの色で、原因に対しての結果だった。でも、罪ちゃんが見つけた虹は、その瞬間は、奇跡としか思えないような、この世に神様がいて、神様が作ったとしか思えないような、美しい何かだった。二人で顔を見合わせて笑った。本当に美しくて、笑うしかなかった。

 

吐瀉物のにおいと、倫理の欠如と、虹と、セックスと、神様が入り混じって醜悪なビル群を、朝へと、未来へと押し流していた。夏が終わろうとしていた。

 

『ドライブ・マイ・カー』のこと(ネタばれあり)

一度も飲んだことが無い未知の酒を、ちびちびと飲み続けているような感覚があった。あるいは、葉っぱでも吸っているような(吸ったこと無いけど)静かで、それでいて好奇心が満たされていく感覚があった。静謐と充足は両立し得る。現に、そういった物がこの世にはあるから。でも、映画には無かった。静かな語り口は、映画の強度を多少なり弱めるはずだった。繊細な味覚で出汁の旨味を味わうのが、この国で映画表現が踏襲すべきルールだった。今や、それは過去のものになった。強度の高い静かな悦楽が、映画の名を持って産み落とされたからだ。

 

成り代わりの物語である。演出家の家福は、妻と姦通した若い役者に、自身が演じることもできたワーニャの役を委ねた。死んだ女を介して、二人の男が引き合わされる。寝物語でしか物語を語れない女だから、交わった男の数だけ、物語を残して逝った。家福と若い役者は、ただの運命の流れの中で再びめぐり逢い、答え合わせをする。断片を紡ぎ合わせて猥雑な完成品を、死んだ女が残した暴力的でエロティックな一片の物語を、共同作業として産む。若い役者がやがて役を降り、お鉢が回ってくる、かつての夫のもとに。あるいは、ドライバーの女は、運転手の代行をし、死んだ妻の(あるいは死んだ娘の)代役を演じることになる。代役は、舞台に幕が下りるまで演じ続けられることになる。

 

言うまでもなく、車の物語である。移動手段であり、人と人が言葉を交わす空間であり、社会の表出であり、社会に点打たれた私的な存在でもある。猛スピードで目まぐるしく動く機械は全体としては人間社会を表しているけれど、耳をそばだてて、あるいは注視してみれば、機械の所有者ひとりひとりの極私的な空間が広がっている。家福にとって車は、生きている妻、あるいは死んでいる妻との、リズムやテンポの制御された、極度に制限された会話を行う場でしかなかった。生の女と、妻と向き合うこともなく、それでいて妻との絆の証であり、愛情のやり取りでもあった、テープとの会話。その会話が、空間が、乱された。私的な空間に第三者が闖入した。以前のようにテープの声と問答していても、それを聞いている人間がいる。閉じた幕の裏で繰り広げられていた物語に、今や観客がいる。その観客の目には、不可思議で滑稽なものに、かつての夫婦の姿は映るかもしれない。乱れたリズムはしかし、波打った水面が落ち着きを取り戻すように、静かで美しいエンジンの鼓動を再び獲得するのだった。生身の男と生身の女が話し、破調が起き、そして乱れた美しさが心地良いのだった。

 

人と人の境目が無くなるのが、演劇である、あるいは車である。家福の演劇、多言語を用いた演劇作品においては、台詞は単なるきっかけには到底留まりえない。自己がいて、他者がいるという明確な線引きは存在しえない。他者の言葉は自己の言葉に先行しているけれど、時間軸上で先行しているだけであって、因果も、道具としての意味も、存在しえない。(自己)が話している言葉は、(他者)が話している言葉である。あるいは、姦通した男と、姦通された男が、後部座席で相まみえる場面においては、セックスを共有しているから(自己)が(他者)であり、(他者)が(自己)である。もう境目が無い。死んだ女と寝た限りにおいて、二人の男は同一である。

 

劇中劇「ワーニャ伯父さん」は、日本語話者のワーニャの肩に、(韓国語圏の)唖者ソーニャが手を回し、手話で物語る、静かで恍惚的な会話劇で幕切れる。ソーニャの手話は、ワーニャの胸元で、ワーニャと同じ向きを向いて語られるから、つまり逆手話である。つまり、語っている人間と、語られている人間が同一である。つまり、ここに映っているのはカットバックのバリエーションの一つ(“切り返しのないカットバック”)である。成り代わりが、劇が、人間の融合が、男と女の会話が、親と娘の関係が、静かに、それでいて恍惚的に終わりを迎えるのだった。映画が終わり、そして映画が続くのだった。ドライブは続く。高速度で動く車は、(ハンドルを切り損なえば、人間生命を奪う凶器になるけれど)、静かで私的な空間を産み出してくれる。この映画は、始まりから終わりまで徹頭徹尾、“車”を堪能する物語である。

ふられるとわかるまで 何秒かかっただろう

You think that I don't even mean
A single word I say

きみは僕が意味のあることを

一言も言ってないと思うんだね


It's only words, and words are all I have
To take your heart away

ただの言葉なんだ、僕が持ってるのは言葉だけ

それだけが君の心に伝わる

(BEE GEES「Words」)
 

 
愛情表現が言葉の姿を借りて出没することは稀なケースで、たとえば乳輪を舐める舌先に、互いの性器を舐め合う刹那に、寄り添った肩の冷たさに、接近した座標軸の近さに、それは現れるのだった。目の焦点が合わないマクロ領域に、他者が横たわっている時に、それは訪れるのだった。言葉はくだらない。旧世代のケーブルのように、バイト数の少ない情報量は伝えられるけど、元データが重ければ重いほど、狭いケーブルを情報が伝わっていかない。常に人間の前方を走りながら、なおかつ退却の目的で走り続けている、高速で移動する死体、形骸化したツールこそが言葉なのだった。
 
新宿で、友達とソープランドへ行った。代金を奢って送り出し、二丁目をふらふらと巡り煙草を吸いながら、僕の代わりにセックスをする男を待つつもりだった。でも性サービスに不慣れな男は、僕が予約の電話を入れるなり、トイレに籠って五分出てこない有り様だったので、付き添いとして行かなければならなくなった。僕も別にセックスしたくない訳ではないから(かと言って、セックスしたい訳でもなかった)、別にいい。セックスの一つや二つ、それも金銭の授受によって為される風俗店での行為なんて、一つや二つ誤差でしかない。
 
店を出て友達は、重力に引きずられていた。根元まで咥え込まれ、根こそぎ吸い取られた搾りかすが歩いていた。その搾りかすの家で、その後飲んだ。事故の多い交差点に、住んでいた。「好きで好きで仕方がなかった」と、女が男を刺した事件も、その交差点で起きたらしい。霊的な何かが浮遊しているとしか思えない。そういった一角で、その男は、彼女と同棲していた。さしたる不満もなく、幸福に生活しているらしかった。
 
事故に隣接するアパートを出たあと、花園神社の裏へ向かった。昔の仲間が店番に出ている曜日だったので、顔を出した。その店で出会った初対面の男と、店をハシゴして夜の果てへとなだれ込み、辿り着いた終着点で、音楽を聴きながら朝を待った。大瀧詠一をリクエストしてかけていた。なんだか街が、生活が、元に戻ったように錯覚した。実際には今飲み歩いているような人間は人間の屑で、未曽有のウイルス危機はまだ過ぎ去る気配もなかった。大瀧詠一の曲で一番好きなのは、題名に女性の名前が入った歌だった。偶然、その名前は、数時間ほど前に金銭授受をした女性と同一のものだった。敗れ去った男の歌である。ふった女を憐れむ歌である。しんみりと聴き込んでしまって、顔を上げることができなかった。新宿で、裸で寄り添って手を繋いだ相手は、きらきらと明るく優しい女だった。寄り添って寝て、すべすべした腹を撫で、愛情の無い愛情表現を破れかぶれに続けた。優しい女だったから、言葉ではなくセックスで伝え合いたかった。それは叶ったのか、今となっては何も分からなかった。朝がじんわりと青く、裏街を照らし始めていた。

新興宗教おっパブ教

おっパブを三軒ハシゴしてしまった。このご時勢に、倫理上まずいのは分かっている。元々は、一軒目で終わらせる予定だった。もう馴染みになっていて、ボーイにすら顔が割れている(店の半径50m以内に侵入すると、インカムで店に連絡が飛ぶ)イチャキャバがあって、そのお店の子に諸事情が有って私物を借りたので、返却とお礼を兼ねて、行くことにしたのだった。そのキャバ嬢とは、何だかよく分からない関係がずっと続いている。ただのキャバ嬢と客、金を払わせる側と払う側であるという認識は、お互いちゃんと持っていて、それを踏み越えたいという欲求も動機も特に無いのだけど、そういった関係と相反することなく、友情もお互い持ち続けている。それは他の客と別格の立ち位置だからとか、特別だからとか、そういった優先順位の問題ではなくて、関係性の性質の問題、要するに僕があまり警戒されていないから、なんとなく友情と呼べるような間柄におさまったのだと思う。僕は女性から男として見られることがない、たとえセックスをした相手であっても、友達と見なされていたりする。これはべつに、現代的な性のあり方、ウエルベック的な男女の座標軸を持ち出して論ずべき難問ではない。要するに、僕が関係性に答えを出せない人間だから、あらゆる諸関係が宙ぶらりんになっているだけのことだった。女性にジャッジを委ねたとしても、女性が答えが出すことはないのだった。それで僕は僕で、なんとなくダラダラとそばにいるだけだから、肉体が成熟した二個体が、成熟した答えを見出せずに同一空間上に存在し続ける、という現象が起きる。そしてそれは、大した問題ではないのだった。店の形態としてはイチャキャバで、キスやおっぱいのお触り有りなのだけど、いまさらがっつくのも恥ずかしくて、最近は話すのみでボディタッチすらほとんど無い。キャバ嬢としても、それならそれでラッキーと思っているのか、アクションを仕掛けてくることもない。正規のキャバより高い金額を払って、話すだけ。つまるところ、お人好しのアホ男なんだと思う。しかし、おっぱいを触れる場所でおっぱいを触れる金を払っておっぱいを触らないというのは、ある意味ではパンクスというか、反骨精神を体現している気がしなくもない。

 

馴染みの店を出たら帰るつもりだったが、タクシー乗り場でキャッチに話しかけられた。雨が降っていた。雨が降っていたのが、良くなかったのかもしれない。もう一軒、行った。広島出身の女の子がついた。明るい店内の他のブースでは、ライトブルーのスーツを着た社会的地位の有りそうな男が、スレンダーギャルの貧乳にむさぼりついて目を恍惚とさせていた。

 

「客観的に見るとさ、引きで見るとさ」

「何?」

「間抜けに見えるよね、ああいうの。他人のスケベ行為って」

「そうじゃな」

 

この店を出て、タクシーに乗ろうとして、またキャッチに話しかけられて、またついていった。始発が動くまで、ブースの隅でじっとしていた。やたらテンションが低い女の子と、ぼそぼそと喋り続けた。なんだかものすごく疲れていた。雨が降り続けていた。

そしてウンコを、天国を

『G戦場ヘヴンズドア』という漫画が昔好きだった。日本橋ヨヲコという、ともすれば「ウエッ」と食事を戻しそうになる作風の、アクの強い女性漫画家が描いた、漫画家を目指す高校生の話だ。邪宗まんが道』とでも呼ぶべき漫画で(関係ないけど、昔「邪宗まんが道」というWEB小説があった)、セリフから輪郭線に至るまで強度に満ち溢れた邪道の青春ストーリーである。主人公の町蔵君は人気漫画家を父に持ち、コンプレックスを抱えながら、しかし漫画家になりたいという夢を捨てきれないで生きている。そんな町蔵君が、圧倒的な才能を持つ鉄男という同級生に出会い、挫折を何度も繰り返しながら、やがて正々堂々と逃げ隠れせず漫画に向き合うようになる、というのが本筋で、嫉妬の話であり誤解の話であるけれど読後感はポジティブで、天国に突き抜けるような幸福感がある。

 

友人である佐山氏と、新宿のロックバーで明け方、飲んでいて、佐山氏がビーチボーズの「Wouldn't it be nice」をかけたことがあった。この曲を聴くと天国にいる気持ちになるんだよ、とグデングデンに酔った佐山氏は大真面目に語っていた。確かに、と思った。確かに、今にも吐きそうな瞬間に、何か天国のような時間が訪れたような気がした。ブライアン・ウィルソンは、サーフボードには乗れなかったけれど、天国を作った。

 

天国というのは、孤独な人間が、一人の人間の行いとして、現世に作り上げるものなのだった。日本橋ヨヲコも、ブライアン・ウィルソンも、あるいはセルジオ・コルブッチにしたって(『豹/ジャガー』のラストは天国以外の何物でもない)、歩き始めた瞬間には孤独で、自分の仕事を行うという意図しか持っていなかった。でも、辿り着いた場所は違ったし、孤独な空想が現実を飲み込んで書き替えるという結末に至ったのだった。現実ではない幸福な何かを作り上げたのだった。

 

僕がそうなれるかというのは分からない。ただ、僕はこの9月に、確かに何かを作った。そして、その何かは少しだけ、幸福な感情を帯びているように思う。