ふられるとわかるまで 何秒かかっただろう

You think that I don't even mean
A single word I say

きみは僕が意味のあることを

一言も言ってないと思うんだね


It's only words, and words are all I have
To take your heart away

ただの言葉なんだ、僕が持ってるのは言葉だけ

それだけが君の心に伝わる

(BEE GEES「Words」)
 

 
愛情表現が言葉の姿を借りて出没することは稀なケースで、たとえば乳輪を舐める舌先に、互いの性器を舐め合う刹那に、寄り添った肩の冷たさに、接近した座標軸の近さに、それは現れるのだった。目の焦点が合わないマクロ領域に、他者が横たわっている時に、それは訪れるのだった。言葉はくだらない。旧世代のケーブルのように、バイト数の少ない情報量は伝えられるけど、元データが重ければ重いほど、狭いケーブルを情報が伝わっていかない。常に人間の前方を走りながら、なおかつ退却の目的で走り続けている、高速で移動する死体、形骸化したツールこそが言葉なのだった。
 
新宿で、友達とソープランドへ行った。代金を奢って送り出し、二丁目をふらふらと巡り煙草を吸いながら、僕の代わりにセックスをする男を待つつもりだった。でも性サービスに不慣れな男は、僕が予約の電話を入れるなり、トイレに籠って五分出てこない有り様だったので、付き添いとして行かなければならなくなった。僕も別にセックスしたくない訳ではないから(かと言って、セックスしたい訳でもなかった)、別にいい。セックスの一つや二つ、それも金銭の授受によって為される風俗店での行為なんて、一つや二つ誤差でしかない。
 
店を出て友達は、重力に引きずられていた。根元まで咥え込まれ、根こそぎ吸い取られた搾りかすが歩いていた。その搾りかすの家で、その後飲んだ。事故の多い交差点に、住んでいた。「好きで好きで仕方がなかった」と、女が男を刺した事件も、その交差点で起きたらしい。霊的な何かが浮遊しているとしか思えない。そういった一角で、その男は、彼女と同棲していた。さしたる不満もなく、幸福に生活しているらしかった。
 
事故に隣接するアパートを出たあと、花園神社の裏へ向かった。昔の仲間が店番に出ている曜日だったので、顔を出した。その店で出会った初対面の男と、店をハシゴして夜の果てへとなだれ込み、辿り着いた終着点で、音楽を聴きながら朝を待った。大瀧詠一をリクエストしてかけていた。なんだか街が、生活が、元に戻ったように錯覚した。実際には今飲み歩いているような人間は人間の屑で、未曽有のウイルス危機はまだ過ぎ去る気配もなかった。大瀧詠一の曲で一番好きなのは、題名に女性の名前が入った歌だった。偶然、その名前は、数時間ほど前に金銭授受をした女性と同一のものだった。敗れ去った男の歌である。ふった女を憐れむ歌である。しんみりと聴き込んでしまって、顔を上げることができなかった。新宿で、裸で寄り添って手を繋いだ相手は、きらきらと明るく優しい女だった。寄り添って寝て、すべすべした腹を撫で、愛情の無い愛情表現を破れかぶれに続けた。優しい女だったから、言葉ではなくセックスで伝え合いたかった。それは叶ったのか、今となっては何も分からなかった。朝がじんわりと青く、裏街を照らし始めていた。