いまさらウーマロタックル

スーファミ実機でFF6をクリアしてしまった。しまった、というのは、他に片付けるべき雑務、支払い・今後の準備・編集作業・労働行為を有耶無耶にした時間の墓場の上にスーファミの長期プレイングという新しい墓をぶっ立てているからで、物理的にゴミ山の上で一日の大半を過ごし、たまに外に出る用事といえば、まいばすけっとに食料の買い出しに行くか、死んでしまったメダカをアパートの庭に埋めることだけ。思い返せばここ数か月ずっと気を張っていて、それは毎日の電車賃すら事足りないという懐事情から来ていたのだけど、資産のある父親に全て援助してもらって資金の見通しが立ってからは、ぱつりと緊張の糸が切れてしまった。本当に屑。

 

それはそれとして、FF6をクリアした。発売当時は幼稚園か、小学校にあがる頃だったので、世代としては外れている。最初にプレイしたFFは7だし、思い入れがあるのも7で、30も半ばに差し掛かった今でさえ、正史はティファ派かエアリス派かで思い悩み、眠れぬ夜を過ごすことだってある。それに加えて、開発者のヒゲこと坂口博信は僕と同郷で、日立という町を出ているのだけど、魔晄炉が暗い影を落としている故郷というイメージは、かつては銅山として栄えていた日立と輪郭が重なるところがある。それはそれとして、FF6をクリアした。ダーク路線に面舵いっぱいの世界像は、今のろくでもない生活と水が合った。魔導の力を注入されて頭がおかしくなった道化師も、家族を毒殺された侍も、犬を可愛がるしかない殺し屋も、現実の直視を自粛する生活と相性がいい。サーカス感、サーカスの暗い部分とでも言うような世界。三闘神戦で流れる「死闘」という曲も、あやふやな綱渡りをしている曲芸師のような、落ちていく浮遊感とでも言うようなテンションの高い絶望がある。もう語り尽くされているところを掘り下げても仕方がないけれど。反面、ゲームのシステム面はあまり優秀ではない。5が戦略性の宝庫だったからだいぶ格落ちするというか、レベルアップ時の魔石ボーナスくらいしか気を配るような部分がない。世界崩壊前はガウのあばれるに優位性があって、ボス戦でヘイストを配ったり、おにびの火力で雑魚を屠ったりできるけど、崩壊後は魔石で全て事足りてしまう。提示した世界像は良いけれど、広げるだけ広げた風呂敷を回収しきれていないというのは、ドラクエ6にも近いところがある。ドラクエ6も、現実の世界と夢の世界を行き来する、という設定は大好きで小学生の頃はワクワクしたけれど、設定の秀逸さは間延びしたまま放り投げられて、ついに回収されることはなかった。

 

幕切れは大変良いのだけど、ドラクエ6もFF6も。ドラクエ6なんて、ムドー戦後のだらだらした展開とも言えない展開から、最後の最後で、一瞬で引き戻される。城下ではパーティが催されていて、平和一色のムードなのに、階段を一つ隔てた王の間では暗い顔をした男女が涙している、という終わり方。片や幸福な人間がいて、片や不幸な人間がいる。二項対立、夢と現実の対立というテーマを、思い出したように最後の一瞬に突きつけて終わる。映画もゲームも、長編はあっさりと終わらせるのがいい、それも大団円でなければ尚のこと。FF6も、魔法の物語を終わらせる最後の台詞は、一介の賑やかしに過ぎなかった賭博師が言う。そこでぱつりと断絶する、幕が下りる。後を引くのだ、終わりの切れ味が。