新興宗教おっパブ教

おっパブを三軒ハシゴしてしまった。このご時勢に、倫理上まずいのは分かっている。元々は、一軒目で終わらせる予定だった。もう馴染みになっていて、ボーイにすら顔が割れている(店の半径50m以内に侵入すると、インカムで店に連絡が飛ぶ)イチャキャバがあって、そのお店の子に諸事情が有って私物を借りたので、返却とお礼を兼ねて、行くことにしたのだった。そのキャバ嬢とは、何だかよく分からない関係がずっと続いている。ただのキャバ嬢と客、金を払わせる側と払う側であるという認識は、お互いちゃんと持っていて、それを踏み越えたいという欲求も動機も特に無いのだけど、そういった関係と相反することなく、友情もお互い持ち続けている。それは他の客と別格の立ち位置だからとか、特別だからとか、そういった優先順位の問題ではなくて、関係性の性質の問題、要するに僕があまり警戒されていないから、なんとなく友情と呼べるような間柄におさまったのだと思う。僕は女性から男として見られることがない、たとえセックスをした相手であっても、友達と見なされていたりする。これはべつに、現代的な性のあり方、ウエルベック的な男女の座標軸を持ち出して論ずべき難問ではない。要するに、僕が関係性に答えを出せない人間だから、あらゆる諸関係が宙ぶらりんになっているだけのことだった。女性にジャッジを委ねたとしても、女性が答えが出すことはないのだった。それで僕は僕で、なんとなくダラダラとそばにいるだけだから、肉体が成熟した二個体が、成熟した答えを見出せずに同一空間上に存在し続ける、という現象が起きる。そしてそれは、大した問題ではないのだった。店の形態としてはイチャキャバで、キスやおっぱいのお触り有りなのだけど、いまさらがっつくのも恥ずかしくて、最近は話すのみでボディタッチすらほとんど無い。キャバ嬢としても、それならそれでラッキーと思っているのか、アクションを仕掛けてくることもない。正規のキャバより高い金額を払って、話すだけ。つまるところ、お人好しのアホ男なんだと思う。しかし、おっぱいを触れる場所でおっぱいを触れる金を払っておっぱいを触らないというのは、ある意味ではパンクスというか、反骨精神を体現している気がしなくもない。

 

馴染みの店を出たら帰るつもりだったが、タクシー乗り場でキャッチに話しかけられた。雨が降っていた。雨が降っていたのが、良くなかったのかもしれない。もう一軒、行った。広島出身の女の子がついた。明るい店内の他のブースでは、ライトブルーのスーツを着た社会的地位の有りそうな男が、スレンダーギャルの貧乳にむさぼりついて目を恍惚とさせていた。

 

「客観的に見るとさ、引きで見るとさ」

「何?」

「間抜けに見えるよね、ああいうの。他人のスケベ行為って」

「そうじゃな」

 

この店を出て、タクシーに乗ろうとして、またキャッチに話しかけられて、またついていった。始発が動くまで、ブースの隅でじっとしていた。やたらテンションが低い女の子と、ぼそぼそと喋り続けた。なんだかものすごく疲れていた。雨が降り続けていた。