この世界にアイーンをこめて

書きたいものが何だったのか分からない。きっと臆病に手をこまねいて自分の順番を待っているうちに、僅かばかり有った物作りのセンスも消え失せてしまったんだと思う。賞味期限切れ。もう捨てる以外の選択肢がない。例えばスポーツ選手ならば、自分の限界というものが明白に理解できる。それは現実味を帯びて体力の低下や反射神経の鈍りに如実に表れるからだ。でも創作は違う。鈍磨した感性の持ち主でさえも、己がもう勝ち負けをつけられる立場に居ないのだと、聞き分け良く理解することなんて出来やしない。決断が遅すぎだ。もう言いたいことが何も無くなっていた。そして感性も、感覚も、ヤングボーイのようには機能していないのだった。どこかで聞いたことのあるような語彙でしか、喋ることが出来ないのだった。元々、文章が書ける人間ではない。18の時、浪人時代に会ったある人が、文章で食べていける素養のある人間で、その人の背中に憧れて日々を過ごしていた。真似て文章も書いた。でも、結局センスというものは、練習で身に着けられるものではないのだった。その人は、小説家になった。もちろん当然の結果だ。文章で食える人間が本気で表現を切り詰めて、感情を剝き出しに書き殴った文章をずっと読んできたから、凡な人間がワンセンテンス毎に推敲してコツコツと書き上げた文章のダルさ、表現の眠たさというものがはっきりと分かってしまう。僕は眠たい文章しか書けない。文章表現で勝負できない。だけどシナリオなら、単純な作文に留まらない、ビジュアルのイメージありきの文章なら、望みを抱いてもいいと思っていた。土俵に立っていない時は、いくらでも夢想が出来た。今はそうはいかない。スタート地点に立ってみた。重い腰を上げて、いっちょうやってみますかと、ワードソフトを起動してちょいと書き上げてみたら、出来上がったのはタイピングの指の動きに対応して出力された言語データといったもの。それ以上でもそれ以下でもない。つまり何も言いたいことが無い。感情が無い。沸いてくる感情が無い。使い古したごみ箱のような心を引っ搔き回してみても、黒ずんだプラスチックの表面の滓も澱も、爪の先に残らないのだった。