「なんだおい、そのおっぱいを見ろよ」「見てるさ、お前はアホか」

試した結果、3分大喜利でアイドリングしてから脚本を書き始めるとスムーズに言葉が出てくると分かった。この方法が一番いい。本来、文章を書ける人間ではないから、調子が悪いと勢いもセンスも何も無い、文字の羅列になってしまう。油断をすると、「時制」「接続詞」が頻繁に現れる。日本語のセンスというのは、主語述語目的語のSVOを排除し、時制や接続詞にも頼らず、言葉をやりくりすることに懸かっている。そういったセンスというのを持ち合わせていないから、書ける水準に到達するまでに準備が必要なのだった。言語水準においては、一般水準よりも著しく劣っていて、アウトプットが不自由で仕方がない。言葉にブレーキがかかっていて、淀みなくするすると出てこない。一般水準の人なら、会話の相手の意図や、その場で求められている振る舞いを瞬時に察して、同時並行で口が動いている。あるいは、文字を打ち込む指が動いている。アウトプット不能者では、こうはいかない。悩み迷い、ぎりぎりとところで言葉を吐く。吐き出すことで精いっぱいで、コントロールが定まっていない。脚本は闇雲に文字数を埋めればいいというものではなくて、適切にコントロールされている必要があり、なおかつ表現でなくてはならない。表現というのは、例えばセオリーの裏をかいて単語を用いるような上級のアウトプットだから、言語障碍者がその域に自分を持っていくためには、工夫と努力が欠かせないのだった。アイドリングは必須で、ホンを書く下準備として言語感覚を一気に46億年進化させる。そうして夜通しホンを書く。満足して寝る。目が覚めると、センスは消え去って跡形もなく、ホンだけが残っている。冴えた頭は一過性のもので、必ずリセットされる。それでいい。必要な時が来たら、またアイドリングする。何度も繰り返している、終わりは来ない。でも、本来出来ないことを自分に求めているのだから仕方がない。

 

ホンに煮詰まって散歩して、ブランコを漕いだ。思いつめた顔で懸命にブランコを漕いだ。座っても歩いても思いつかないから、宙に浮いてみようという意図だった。宙にも、ヒントは何も浮かんでいなかった。世田谷危険爺が爆誕しただけだった。コンビニでケーキを買って帰った。糖分が足りていないことを恐れた。まさかホンが進まないのは、糖分が原因なのではと、本気で思った。

 

不得意だから、コンプレックスだから、のめりこんで夢中になっている。裏返しの熱意。ずっと相手にしてくれない相手の、ケツを追い回している。