ジェーン・ギャラハーのこと

根っからのストーカー気質の人間に育ってしまった。前触れというか、全ての根源は分かっていて、初恋が3歳の時に訪れたからだ。初恋の子(ミキちゃんという名前だった)とは短い間だったけど、忘れられない蜜月を過ごした。ぼくが住んでいた家の押し入れに二人で籠って、暗闇の中でおしゃべりをするのが定番の過ごし方だった。蜜月の間に、プロポーズも済ませた。「けっこんしてください」と手紙を書いて渡した。その後、四半世紀に渡ってヘテロセクシャル世界をコンプレックスと共に歩くという暗い運命はまだ知らなかった。好きな女といつも一緒にいて、人生の絶頂だった。

 

やがてミキちゃんは、引っ越して行った。連絡先を知らなかったから、煩悶することになった。長く尾を引いた煩悶だった。ミキちゃんは、正確にはミキコという名前だったので、ミキコという名前の女を探す人生の旅がそこから始まった。小学校、中学校を進級するたびに、追い求めていた三文字がありやしないかと、クラス名簿を狂ったように何度も見返した。ぼくが住んでいたのは北関東の街で、あとで分かったことだが、ミキちゃんは関西に引っ越していたので、再会が不可能であるということは予め確定していた。

 

ミキちゃんのフルネームが判明したのは、高校に入ってからだった。三歳の絶頂期には登場人物がもう一人いた。ぼくとミキちゃんの関係は、『突然炎のごとく』のような三角関係で、ぼくの他にもう一人、男の幼馴染がいた。その幼馴染と高校で、ばったり再会した。そうして昔話をするうちに、ミキちゃんのことを色々教わったのだった。神戸に引っ越したということも、その時初めて知った。

 

結果的に、ぼくとミキちゃんが再会することはなかった。ただ消息は少し知れた。ぼくが23、24歳の頃だったと思うが、当時「mixi」が隆盛を極めていた時代で、ものの試しにと「○○○○ミキコ」と検索をかけてみたら、それらしい人物が検索結果に現れた。メッセージを送って確認したところ、本人だった。探し当てた時の恍惚感は、言い表すのが難しい。20年を費やして、辿り着いたのだから。マイミクになり、ミキちゃんがつけていた日記も隈なく読破した。ミキちゃんの思考や生活状態を知れるような文章を読めば、全身の血が沸騰するような恍惚が体を駆け巡り、男関係をにおわせるような記述を読めば、血が冷めて絶望の恍惚感で体が震えた。

 

運命の人(と勝手に思っていた)に辿り着いたのだから、上手くやりとりを重ねるなりして、会う手はずを整えればよかったのだけど、ぼくは新たに見つけたファストフード、手軽に恍惚感を味わえる玩具、ネットストーキングという眩しい光に魅了されてしまって、大局的な視野を見失っていた。お互いに見つめ合う関係性、話し合う関係性ではなく、一方的に見つめる関係に自身を置くことに、定位置を見定めてしまった。

 

ミキちゃんとはそれきりになった。そして、手段が目的に変わった男、眩暈のするようなネットストーキングの恍惚に心を奪われた男が生まれた。女性を好きになるたびに、大得意のweb検索を試みた。ツイッターフェイスブック、インスタグラムの検索窓に、思いつく限りの検索ワード(ひらがな・カタカナ各種表記した名前、名前と誕生日が合体した英数字などを、思いつく限り)を打ち込み、アカウントの特定に勤しんだ。頼むからアカウントを持っていてくれ、そして頼むから、異性との性的関係を赤裸々に綴っていてくれ、と祈りながら。ぼくはプレイヤーにならなくていい、観察者として、好きな女が生活し、悩み、男とセックスする様子を遠巻きに眺めていたい。そうしていることが好きなのだ。20年間続いた片思いが、無限に延長していく感覚があった。対象は誰でも良くなっていた。目で楽しんで、暗い恍惚が感じられればそれでよかった。

 

ブニュエルの『欲望の曖昧な対象』のように、正しいパートナーが誰であるかも分からずに、眼前の女の顔が変わり続けている。女が目まぐるしく僕を通り過ぎている。欲望だけが、根本を貫いてずっと存在している。3歳の暗闇から、押し入れから、ずっと。

「なんだおい、そのおっぱいを見ろよ」「見てるさ、お前はアホか」

試した結果、3分大喜利でアイドリングしてから脚本を書き始めるとスムーズに言葉が出てくると分かった。この方法が一番いい。本来、文章を書ける人間ではないから、調子が悪いと勢いもセンスも何も無い、文字の羅列になってしまう。油断をすると、「時制」「接続詞」が頻繁に現れる。日本語のセンスというのは、主語述語目的語のSVOを排除し、時制や接続詞にも頼らず、言葉をやりくりすることに懸かっている。そういったセンスというのを持ち合わせていないから、書ける水準に到達するまでに準備が必要なのだった。言語水準においては、一般水準よりも著しく劣っていて、アウトプットが不自由で仕方がない。言葉にブレーキがかかっていて、淀みなくするすると出てこない。一般水準の人なら、会話の相手の意図や、その場で求められている振る舞いを瞬時に察して、同時並行で口が動いている。あるいは、文字を打ち込む指が動いている。アウトプット不能者では、こうはいかない。悩み迷い、ぎりぎりとところで言葉を吐く。吐き出すことで精いっぱいで、コントロールが定まっていない。脚本は闇雲に文字数を埋めればいいというものではなくて、適切にコントロールされている必要があり、なおかつ表現でなくてはならない。表現というのは、例えばセオリーの裏をかいて単語を用いるような上級のアウトプットだから、言語障碍者がその域に自分を持っていくためには、工夫と努力が欠かせないのだった。アイドリングは必須で、ホンを書く下準備として言語感覚を一気に46億年進化させる。そうして夜通しホンを書く。満足して寝る。目が覚めると、センスは消え去って跡形もなく、ホンだけが残っている。冴えた頭は一過性のもので、必ずリセットされる。それでいい。必要な時が来たら、またアイドリングする。何度も繰り返している、終わりは来ない。でも、本来出来ないことを自分に求めているのだから仕方がない。

 

ホンに煮詰まって散歩して、ブランコを漕いだ。思いつめた顔で懸命にブランコを漕いだ。座っても歩いても思いつかないから、宙に浮いてみようという意図だった。宙にも、ヒントは何も浮かんでいなかった。世田谷危険爺が爆誕しただけだった。コンビニでケーキを買って帰った。糖分が足りていないことを恐れた。まさかホンが進まないのは、糖分が原因なのではと、本気で思った。

 

不得意だから、コンプレックスだから、のめりこんで夢中になっている。裏返しの熱意。ずっと相手にしてくれない相手の、ケツを追い回している。

ちゃんと会って、同じ時間を過ごしたいの♪

ツルゲーネフの「はつ恋」を古本屋で最近見かけないと思ったら、青空文庫になっていた。考えてみれば薄い本なので、電子化向きの小説だった。これでもうブックオフの外国人作家コーナーでツルゲーネフの名前を見ることもなくなるし、「ていうか、はつ恋以外何書いたんだっけ?」と疑問を持つこともなくなる。ロシア人作家と言えば、絶望で全てを蹂躙していくスタイルの大作家が他にいて、ツルゲーネフの存在感は少し薄い。優等生の良い子ちゃんというか、ナイーブな作家という偏見をなんとなく持っている。本当は、ジナイーダなんて根っからの「オタサーの姫」だし、その姫に対して男どもはやたらと憎悪の混じった複雑な愛情を向けているし、「はつ恋」は決して性格の良い小説ではない。むしろ、積極的に「オタサーの姫」成分を取り込みたいという歪んだ人間にとっては、村上かつらの「サユリ1号」と並んで座右に置くべき(青空文庫になったけど)書籍である。

 

「はつ恋」にはルーシンという名の皮肉屋の医者が登場する。ジナイーダを囲む男の一人なのだが、ジナイーダを盲目的に信仰するというより、他愛もない小娘だと侮蔑しつつ同時に愛してもいるという、素直になれない中年男の成れの果てといった人物だ。そして主人公の見立てでは、このルーシンという男がある意味では、ジナイーダの最大の理解者なのだった。脇役ではあるが、何か秘密の鍵を握っているような存在感がある。「はつ恋」を「はつ恋」たらしめている。初見の頃から、片思い中年はかくあるべき、と規範のように思ってきた。だけど最近は、少しだけ意見が変わってきている。

 

ある人にとって特別な存在でありたい、というのは自然な欲求で、押し殺してひた隠しにするような感情ではない。たとえ自分が中年男で、相手が少女であっても。ルーシンのことはずっと好ましく思っているけれど、ジナイーダを独占所有したいという行動理念に従って動いているくせに、ついにその事実に気づくことなく、愛憎というフィクションを信じ込んでしまったのは、愚かで情けなく、知的な営みからは程遠い。愛憎を超えた目線で、オタサーの姫を見るべきだった。それでこそ、ジナイーダの真の理解者になれた。あるいは、もっと大きな枠組みでの、このウンコワールドの理解者になれたと思う。

 

文章の回り道をして、ぐるぐる回っている。何が言いたいかというと、これを書いているのが朝で、一人の中年男に新しい一日が訪れたということです。

えっ、てことはウンコやん?

初稿を書き上げた。手ごたえは、あるのか無いのか、判別がつかない。本当に脚本が書けた時の感覚が無いから(「あ、書けた」って確信できる)、まだ修正していかねばならんのだろう。明け方書き終えて、昼過ぎに佐山氏に送付、意見を仰ぐ。本当はホンをボロクソに言ってくれたら良いな、と思って電話したのだけど、内容のことはあんまり話さなかったな。自主制作プリプロの知識を教えてもらったのがメインだった。キャスト集めも、始めなくてはいけないけれど、(というか、今日やるべきだったかな)初稿を書き終えたという安心感が大きくて、一日の大部分休んでしまった。明日は掲示板でキャストの募集をかける。上手くやれるか不安。この手の募集をかけて上手く人が集まったという体験が無い、「生保レディ」のキャスト集めも心理的な負担として残っている。佐山氏に教授して頂いた通り、役者が食いつくように、募集する側からしてメリットが感じられるように、募集要項を作ろうと思っている。役者ではなく、「ヒロイン」を募集するのです。現場失格の烙印押されたダメ助監としてではなく、経験を積んだプロとして対峙するのです。全てをプラスに変えて提示するのです。楽しい空間を作るのか仕事。どうせ生きててクソみたいなイベントしか起こらんのだから、映画の現場くらいは楽しめる場所であった方がいい。「偽装」であり「錯覚」であり、「麻痺」であるのが理想なのです、映画は。たぶん。

この世界にアイーンをこめて

書きたいものが何だったのか分からない。きっと臆病に手をこまねいて自分の順番を待っているうちに、僅かばかり有った物作りのセンスも消え失せてしまったんだと思う。賞味期限切れ。もう捨てる以外の選択肢がない。例えばスポーツ選手ならば、自分の限界というものが明白に理解できる。それは現実味を帯びて体力の低下や反射神経の鈍りに如実に表れるからだ。でも創作は違う。鈍磨した感性の持ち主でさえも、己がもう勝ち負けをつけられる立場に居ないのだと、聞き分け良く理解することなんて出来やしない。決断が遅すぎだ。もう言いたいことが何も無くなっていた。そして感性も、感覚も、ヤングボーイのようには機能していないのだった。どこかで聞いたことのあるような語彙でしか、喋ることが出来ないのだった。元々、文章が書ける人間ではない。18の時、浪人時代に会ったある人が、文章で食べていける素養のある人間で、その人の背中に憧れて日々を過ごしていた。真似て文章も書いた。でも、結局センスというものは、練習で身に着けられるものではないのだった。その人は、小説家になった。もちろん当然の結果だ。文章で食える人間が本気で表現を切り詰めて、感情を剝き出しに書き殴った文章をずっと読んできたから、凡な人間がワンセンテンス毎に推敲してコツコツと書き上げた文章のダルさ、表現の眠たさというものがはっきりと分かってしまう。僕は眠たい文章しか書けない。文章表現で勝負できない。だけどシナリオなら、単純な作文に留まらない、ビジュアルのイメージありきの文章なら、望みを抱いてもいいと思っていた。土俵に立っていない時は、いくらでも夢想が出来た。今はそうはいかない。スタート地点に立ってみた。重い腰を上げて、いっちょうやってみますかと、ワードソフトを起動してちょいと書き上げてみたら、出来上がったのはタイピングの指の動きに対応して出力された言語データといったもの。それ以上でもそれ以下でもない。つまり何も言いたいことが無い。感情が無い。沸いてくる感情が無い。使い古したごみ箱のような心を引っ搔き回してみても、黒ずんだプラスチックの表面の滓も澱も、爪の先に残らないのだった。

はてなってまだ有ったの

過去の日記を読み返してみたら酷すぎて笑ってしまった。この先どうやって生きて行っていいか分からず途方に暮れていたのが、この日記を書いていた頃のことだった。唯一アクセス可能な外界への窓と言えば、2ちゃんねると、高校の同級生・オルギエ君だけだった。とにかく、事態を打開する策というものを著しく欠いていて、毎日のエネルギーが自分という枠の中で無限ループしてのたうち回っていた。しかしどんなに絶望したところで、苦悩なんてものは通過するのだった。「俺はいつまでも成長することもなくこのまま一生こうなんだ、誰とも交わることなくやんわりと消滅していくんだ」と、京都の下宿でぼんやりと終わっていく未来を、無気力に眺めたものだった。過ぎ去ってみれば全て幻想だ。あれから色んな人と出会ったし、何人もの女とセックスもした。相変わらずクズではあるけれど、今も小刻みに前進しつつ、しぶとく地球平面上に立ち続けている。変わらないで居ることなんて出来ないよ、と一言、日記を書いていた自分に言ってやりたい。クズはクズで、クズなりのモデルチェンジをしつつ、着実に一歩ずつ歩を進めることができる。唯一後退したのは、脳細胞の量くらいのもので、それだけは以前より目減りしているという実感がある。

 

一点、ギョッとしたのが、13年前の日記にも「コーンフレーク」を食べているという記述があったことだ。13年後の今も実は、コーンフレークを主食に据えている。生活に対する基本的な心構えは、何ら進歩していないという事実を突きつけられたようで少し怖くなった。楽して腹を満たしたいという、自堕落な精神構造はまるで変わっていないのだった。(今は、グルテンフリー生活の一環として、あえてのコーンフレークではあるけどね)

・50センチくらいの蝿が俺の体に産卵した。 口からアブクを出すやり方を途中で思い出してた。 気持ち悪かった。 4つの卵を全部守りきるつもりだったけど、親父が猛反対して、頭を打ち抜いたので、どうでもよくなって投げつけたら、一匹死んだ。 親父は実は死んでなかった。 親父がもう一匹ひそかに踏んで殺した。 あとの二匹はたくましく羽化して、汚らしい着物を纏った年増女になった。 親父は左にいったけど、僕たち三人は右にいった。 交番のところで蝿女が怖くて、俺は怖くて元きた道を逃げた。 ○○さん(犯罪者。元は偉い人)が門から入ってきた。 ばあちゃんは住処の手配をしようかと言ったが、○○さんは断った。


・インモラル幼稚園の駐車場には店が二つあって、一つはマック。 右のほうに行くと寺がある。 寺には一度入ったけど、もう一回入れるかなあ。 車高が高いと車上荒らしされにくいのかなあ。


・犯罪者の男女がいて、女のほうにマンコ貸してもらった。 5秒くらいで出してしまった。 気持ちよかった。


・ナンバープレートの偽装を見抜くハイテク機器。 一定距離に近づくと発動。 アニキはそれで御用に。 奥さんもやばい。